2011年10月4日火曜日

漂流する映画館

この10/1~7まで漂流する映画館というものが横浜黄金町で行われている。
http://spectacleonthebay.com/plays/cinemadenomad/

僕はこの企画に九月頭に誘われ参加している。
概要は決定された後の、部分的設計の補助であり
ほとんど設営や施工でのテクニカルサポート的存在であった。
根幹の企画設計そのものにはあまり関与出来ていない。

しかしこれがなかなかに面白い企画であったので
参加させてもらった。

横浜黄金町という場所がある。
闇市的に広がった街であり、多国籍な住民と店が広がり
また少し前までは全国で有数の赤線、青線地帯であり
とにかくカオティックな街である。
それだけに街には計画された街並みにない面白さが溢れている。
京急線の高架下には元売春宿のアートスペースが並んだり
その横には路地と川。そして広がる多国籍な繁華街。

そこを舞台に5つの短編映画をとる。
そしてそれを5つの街中に点在する上映会場でみる。

観客は映画を見ているのか、街を見ているのか
これは鑑賞という行為なのか、まち歩きなのか。

この特殊でわかりにくく、伝わりにくい企画を「漂流」と名付けたのは
建築的思考ゆえであろうし、なかなかに良いとおもう。
意図的であるにしろ無いにしろ、みんな街をふらふらして、その道程を経験するのだ。

思えばiPhoneだのグーグルマップだので異常な程に僕らの位置情報、
地図情報というものは明確なものになってしまった。
そして移動は単なる移動になってしまった。
点から点へと、目的地に到達するための単なる手段になってしまった。

しかしその点と点をつなぐ線こそ面白いのがこの企画である。

企画がおもしろいんだぜ ってことを書くだけでこんなに長くなってしまったのだが
実際にどういう具合になっているのか触れたい。

会場は5つ
ジャック&ベティ 黄金町に多くあったミニシアターのたったひとつの生き残り
似て非ワークス ジャック&ベティにほど近いカフェ&フリースペース
クロスストリート 伊勢佐木町のもつイベント/ライブハウス
日の出スタジオ 京急線の高架下のスタジオ群
コインパーキング 通称momo 街中の単なるコインパーキング

これら5つにそれぞれが建築装置を作り出し映画を鑑賞するのであるが
ここからはもう漂流体験を終えたものとして書いていく。気になる人は見に来てください笑

まず似て非ワークス。 ここでは5mmダンボールを500枚、幅4950mm積層し超微小な穴を持つマッシブな壁をスクリーンに見立てる。
スクリーンの裏側は厚さに違いを持つ三次曲面になっており光の透過度が違う。
それにより観る角度、距離、場所、映像により裏面の光は様々な見え方になる。
壁なのに向こう側が透けて見える。しかもその見え方が動きに呼応し変わる、
そんな奇妙な体験ができる設計である。
これは映像と建築の実験である。 映像が小さな光の点に分解され、それが再び裏側で合わさるときにできる光の不思議。
マッシブに立ち上がる壁であるにもかかわらず透けて見える建築の不思議。
その二つがおもしろさだ。

つまり、映画と建築の新しい関係 であるとか 街と建築と映画の関係ではない。
設計者としての、面白い体験を創りだそうとする、その好奇心がコンセプトに勝ってしまった
そんな会場だと思う。
他の会場では映像と建築が絶妙な呼応をしているところがあるが、ここではそれはない。
きっと監督の瀬田さんとしても映像で答えることが難しい設計、場所であったのかもしれない。

次にクロスストリート
この場所はサルハウス設計のライブハウスであり、近くにある伊勢佐木町の人々により
ポジティブで地域的にハッピーな使われ方をしている幸せな物件である。
その一方で内部は独特の空間であるし、使われ方もやはり建築的 というより
地域の商工会議所がやっている的な、ある種いい意味での地域的ダサさがある。
募金箱が百均のゴミ箱だったり、おっちゃんの手作り的な棚があったりと。
そこに、キネトスコープを作り出している。
このキネトスコープは物としてはかっこいいし、映画館を縮小しておいてみたような
佇まい、内部での映像との近さとなんとも言えない感覚は面白い。
これは映画と建築の実験だ。
しかしここでのクロスストリートの扱いは単なる箱である。
場所性も、建築としてのクロスストリートの扱いも、特に無い。
キネトスコープとして縮小した映画館を作り出すならもっと良い
方法場所があったかもしれない。
漂流する体験と、小さく縮小されどこにでも行けるような映画館は相性がいいだろうし
もっと様々なあり方があったと思う。

次に日の出スタジオである。
川のそばの高架下にある場所で、その高架下のスペースに見上げる形でスクリーンが作られている。
観客は階段に座ってヘッドホンをして天井を見上げるように映画を観る。
とても場所性の強い会場である。そこに瀬田さんは場所性の強い映画を創りだしてくれた。
最高のマッチングである。(と、書いたが僕の見た映画は明日から他の会場と入れ替えになるらしい笑 本来の場所ではなかったらしい)
この上映会場であるから、ヘッドホンであるからの音の扱いをしてくれた蓮沼さんにもびっくりだ。本当にこちらの実験的上映環境をポジティブに塗り替えていくそのクリエイティブマインドには本当に驚かされ、尊敬する。

そしてコインパーキングである。
この会場ではコインパーキングのとなりの建物の窓枠をそっくりそのまま特性のスクリーンに
ハメ変えてしまい、そこに映像が投影される。
リアプロジェクションなので傍目には窓いっぱいに映画が映っている不思議なカンジだ。
ここでは建築と映画と街の実験が本当にうまく成り立っていると思う。
ガード下わきのひっそりとした会場にひっそりと映画が流れていて、みんな外の上映会場で窓をみている。
本当に街中でふらっと映画を見ているのである。
そして映画の中ではその上映会場を出演した女の子が(この子がまた超絶可愛いのだが)鼻歌を歌いながらあるく。観客は映像を見ているはずなのになぜか今通ってきた道を、街をみているわけだ。
そこにさらに音声を作ってくれた蓮沼さんの凄さが光る。 ガードしたということもあり電車
の通過音が定期的に聞こえる(しかも結構な音量で)のだが、映像内にも定期的に電車がうつり
電車の音がするシーンがあるのである。
また背後にも僅かな環境音がサンプリングされ流されているのである。
これら映画と音楽の素晴らしい提案的創造により、映画と街と体験が混ざりあい一体になっているのだ。

観終わった観客は出演した女の子のように鼻歌を歌いながら路地を歩いて行くのだ。

ここでの映画はかわいい女の子が鼻歌交じりに街中を歩く映像として、映像のみで考えるなだば街の表層のみを映す物であるが
街中で見るという体験と窓枠を通すことで単なる表層で終わらずその後の街の体験を一変させる超表層として働く。
この会場の窓はスクリーンではなく街と映像をつなぐ超表層の入り口なのである。

そしてこれら四つの物語と会場と、そしてその道程を通した後にたどり着くのが
シネマジャック&ベティである。
ここでは純粋に映画に感動してもらいたい。これまでの四つの物語が、体験がひとつに繋がる
この感動を純粋に感じてほしい。


と 長々と書いてきたが、はっきり言ってこの体験をしないことは損である。
映画畑の人にとっても、建築畑の人にとっても、あらゆる「たのしいこと」を愛する人は
この体験をするべきである。


漂流する映画館という企画は、映画のためだけでもなく、建築のためだけでもなく、単なる街のピーアールでもない。
新しい体験と実験である。

映画を楽しみ、街を楽しみ、あらたな体験を楽しみ、漂流するという行為を楽しんでほしい。

様々な評価はあれどこれが新たな体験であることは間違いのだから。
新しい楽しみに飛び込まない手はない。

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